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政木氏の発明の歴史と不思議な体験 

  政木氏は大阪大学の工学部・医学部にて約45年間、科学畑を歩まれた科学者でした。同時に神仏の存在や精神エネルギー、超能力等の科学で証明できない現象を否定する頭の固い人間だったのです。
その最先端の科学者が、科学では証明できない数々の不思議な現象を目の当たりにして以来、それらを単に否定するのではなく、科学者としてそれらの研究に長年の月日を費やして来られました。
その結果、輪廻転生する生命体の存在を確信し、人間の生まれ変わる目的などを解明。これらの現象も政木氏が世のため人のために無欲の発明をしたことが長年の陰徳となり、神仏の世界から神示を受けるようになったそうです。
発明の神様と異名を持つ政木和三博士

政木和三氏の身の周りに起きた数多くの不思議な出来事をご紹介させていただくこととする。
 
 ■政木氏の発明と陰徳による不思議な現象
・大正5年5月26日、兵庫県神崎郡瀬加村という山奥の村(現市川町)に生まれる。
・小学校入学時から胃腸が弱く、それを治そうと毎日1時間ずつ腹式呼吸を始める。
・小学3年の頃には1分間で1回の呼吸が可能になる。
・ある日、腹式呼吸をしていると、暗闇の中でも突然“ポッ”と明るくなることが起きる。
・小学3年生のある日、母親の日蓮宗のお経の本の意味がすべて分かり、それを母親に読んで聞かせた。
・小学4年生の頃、妹を乳母車に乗せて動かすのに苦労した経験から、手元にハンドルをつけて前輪を操舵できるようにした乳母車を発明している。発明第一号である。

・昭和15年関西高等工業の電気工学科を卒業し、大阪帝国大学航空学科の研究生となり、田端義男がギターにマイクをつけて歌っているのを見て、すぐにエレキギターを発明!
・脳波誘導装置パラメモリー、パラメモリーU、アルファシータ、バイオソニックの原論はこの年に試作している。後に阪大工学科全てを学び、医学部にて7年間神経の研究を行う。
・戦時中は、内閣の命令により戦時研究員に任命され、終戦の一年前には東條首相に強引な面会を申し込み、敗戦が近いからとの理由で新兵器の提案をする。海軍技術研究所でその新兵器の採用は決まったが、実用前に終戦となってしまった。
27歳のときである。大変なものを作ってしまったと思いながらも使用しないで欲しいと願っていたそうだ。

 
【政木和三氏の歴史】
昭和7年 17歳のとき「うそ発見器」を発明し、大阪の戎署で実験を行う。
昭和15年 関西高等工業の電気工学科を卒業し、大阪帝国大学航空学科の研究生となる。エレキギターを発明!パラメモリー・アルファシータ・バイオソニックの原論は昭和15年に試作している。後に工学科全てを学び、戦後は医学部にて7年間神経の研究を行う。
昭和16年 飛行機の気流をオシログラフで表す熱線風速計を発明する。
昭和18年 この年には、高度飛行機の研究や誘導魚雷の試作を行っている。
昭和18年〜19年 電気・ガスの自動炊飯器を発明する。
戦時中は、内閣の命令により戦時研究員に任命され、終戦の一年前には、東條首相に強引な面会を申し込み、敗戦が近いからとの理由で新兵器の提案をする。海軍技術研究所でその新兵器の採用は決まったが、実用前に終戦となってしまった。27歳のときである。
昭和19年 毎日新聞社より新兵器開発の表彰を受ける。
昭和21年 低周波治療器の研究で、神経の電気的研究の必要性から医学部に!
昭和24年 シワがとれ美肌になる電気美顔器を発明する。(現在の超音波美顔器である。)
昭和27年 過去に発明した電気炊飯釜が映画の朝日ニュースで上映され、全国に広まる。
昭和27年12月28日 この日から3日間掛かって簡易カラーテレビを試作する。通信工学科のときである。
昭和28年1月18日 朝日新聞に、政木氏が1万5千円で買える格安カラーテレビを試作したという記事が掲載される。当時のカラーテレビは25万円〜30万円であったが、その翌年よりカラーテレビが格安となり普及しやすくなる。
昭和28年 この年には、発酵学科でウイスキー熟成方法を、応用化学科では真珠の紫色染色法の案を出す!
また聾唖者に唱歌とアクセントを教える聴力測定器を発明(全国ろうあ学校で正式採用)。
昭和30年 算数が苦手な子供達のために電気学習器を発明する。
昭和35年 神経波治療器ビメークを発明する。
昭和47年 この頃からテレビのスプーン曲げに関心を持ち、金属の歪み計測器ストレーンメータをテレビ局に持ち込み実験したところ、人の念による現象が認められました。政木氏は科学の認識が崩壊すると思ったそうだ。
昭和48年1月12日 テレビの木曜スペシャルに出演し、政木氏の意思によって物体を動かす実験を公開。政木氏が触らず宙吊りの物体は意思のとおりに動いたが、超能力の存在を否定したいがために政木氏は静電気の力によるものとコメントする。
昭和48年3月7日 大阪大学工学部のキャンパスを歩いていたとき、「棒磁石を芯にした振り子を作れよ」とインスピレーションを感じる。磁石の振り子を作り、数ヶ月間に数百人ほど試験している内に、その揺れ方で人間性と人のエネルギーの大きさが示されることに気付く。これを「政木フーチパターン」と名付け、その後、数万人の測定をした結果、色々なことが分かるようになる。
(1)母胎内における胎児生命体の人間性
(2)人格を形成する第二生命体の宿ったときとその人のエネルギー、適職、人間性、病気。そして発ガンの有無及び交通事故。
(3)恋人との相性及び前世の関係・・・とくに恋人とか、わが子、わが親等の測定は、本人がいなくても頭の中で思うだけで結果の出ることが分かった。生年月日や名前も必要でなく、頭の中に思う友人、知人または上司、部下等の知能指数、人間性、健康度、適職度を測定結果で知ることができるのである。
【政木フーチパターンの測定法】
フーチを線で吊り下げ、頭から雑念を去り、無念無想の無我の境地に入ると、磁石の周辺から輝くような白光色が発する。すると、胸にあるショックを感じ、磁石は動き出す。無心になることが先決問題である。自己の欲望を前に出しては、その測定結果には信頼性もなく、価値もないが、無心の状態で測定した結果が非常に正確である。精神修養により、脳波をθ波やδ波にする必要がある!
昭和47年〜50年 テレビ番組のスプーン曲げの実演を見て、「あり得ない!」と憤りのあまりテレビ局に自らが作った金属探傷測定器を持ち込み、その実証を試みる。放映中には何の変化もなく、政木氏が勝ったかと思われた矢先、放映終了後、なんと誰も触れてないはずのスプーンが曲がっていたのである。このとき持ち込んだ金属探傷測定器は、政木氏が自ら製作した測定器であり、「1万分の1」という見た目には分からない金属の変化を表すことのできる精密機械だったのである。この間の3年間は某超能力少年をモデルにいろいろな実験を行い、精神エネルギーの存在を確証する。
また政木氏自身も多数の不可思議な体験を数多くもっていたが、すべて錯覚や偶然のたまもの、科学で追求すればすべて解明できるものと思っていたのだ。政木氏はこの否定したい事実を、科学者らしく受け止め、この時期より「見えない不思議な世界」の研究に突入していくことになる。その後の実験で、人間は10歳以下の子供に、スプーン曲げのできる者が2万人近く発見された。しかし、大人に近づくにしたがってその超能力は消え去ってゆく。その原因は、科学的常識によって、スプーンは固くて曲がらないものだと自分が認識することによって、超能力は自然に消滅してしまうものらしい。隠されている自分の気持ちの持ち方によって、自分の精神力を自分で無力化していることになる。
昭和49年3月7日 政木氏はフーチパターン@にて自分の人間性を測定する。すると自我の強い偏屈な人間性と出る。
昭和49年秋頃 近畿化学工業界の記事を書いたことから、日本薬業会の総会で超常現象(テレビ放映の)についての講演を行った。そのときテレビで物体が動いたのは静電気の力だと説明したところ、M教授とK教授の二人が席と立ち、「静電気の力だけではそんな現象は起きないですよ。念力の影響を考える必要があります」と発言。政木氏はこの言葉に相当期間思い悩んだ。
昭和50年1月1日 この時期、政木氏は、まだ神仏の存在を否定する宗教無用論者であった。
昭和50年7月16日 T・S先生の前に座ると同時に、先生は仰った。「政木さんはとても神様に好かれていらっしゃいますね。神が17年ぶりに奇跡を示すと言っておられます」その瞬間、空のつぼに黄色い果実酒が湧出しだす。これは1年半もの間湧き続け、多くの来客にも振舞われた。
昭和50年8月23日 饅頭や茶碗蒸しから真珠が発生する。
昭和50年9月19日 大阪府池田市の伏見ゴルフ倶楽部東コース5番ミドルホールにて370ヤードワンオンする。この出来事は9月30日のサンケイ新聞に340ヤードワンオンで紹介される。
昭和50年11月25日 昨日のフジテレビの小川宏ショーにて私宅で発生した真珠の奇跡について放映したことについてT・S先生に報告に行ったときのこと。第一回目の大黒天の出現する。政木氏が手にとると木目の顔に瞬間に唇には紅がさし、つづいて眉毛が描かれてゆく。それは2〜3分の出来事であった。政木氏の眼からは涙がとめどなく流れた。神が政木氏のために授けられたのだ。この奇跡に無上の感激である。・・・空中から大黒様が出現する。こんなことが現世にあるのだろうか?これを科学的にはどうすれば説明できるのだろうか?いや、こんなことはあり得ない。しかし、私の手の上に大黒様が厳然と存在している。これは事実だ。事実であれば科学的にも証明されなくてはならない。科学的に証明されなくても、自分や、同席の7〜8人の目の前で起きることの超常現象、この世には人間の知らないもう一つのエネルギーが存在する。それを探求するのが、真の科学者ではないだろうかと。そう思うと、政木氏の心の中に何か暖かいものが通うようになる。
昭和51年12月16日 荒削りの大黒天像が自然に完成する。
昭和51年1月1日 信州熊の湯スキー場の国鉄山の家にて初めて幽体離脱を体験する。離脱後、黒い龍と金色に輝く龍と対面している。
その3ヵ月後、には離脱して着陸した場所が愛知県蒲郡の竹島であることを実証される。その後、離脱により実際に見たものは20年前の風景であることが分かる。T・S先生と出会い、未知のエネルギーの存在を知ることとなり、政木氏自身の人間性が大きく変わっていく。
昭和51年 関西シニアゴルフ選手権に出場、第一打を打つ直前「右脇を固く締めたまま打てよ、汝のゴルフ場は、自分の足許1メーター四方だけである」と神示があり、優勝する。
昭和51年7月11日 自分のフーチパターンAを計測すると、横一文字となり自我は強いが超能力型となり、真珠が5個発生する。
昭和51年10月18日 芦屋の六麓荘においてT・S先生を招待しての食事中のこと、政木氏の口の中に真珠が発生。同席のS社長の持っているビールグラスの中にも真珠が発生。
昭和52年2月7日 午前2時半ごろ、政木氏の2階においてT・S先生が眠りについたとき、T・S先生の掌の中から大黒像が湧き出て、同時に神示が発生した。「政木家にこれを授くぞ」と声量のある男性の大きな声が天井から響いてくる。長男が筆記の準備をすると、ご神示の朗々たる声が天井付近から聞こえてきた。
  「政木家にこれを授くぞ、やまいをいやすために我出現せり
  汝に神秘の力を示さんがためなり、汝、なやみのとこをたたみ捨てよ
  汝の心と同じ神の喜びたる聖なるみことを汝無心の心を心として、我汝
  のすべてを癒すものなり
  この現象たる妙生の掌より生みだしたるものなり
  信ずる心あらば我歓喜とすぞ
  (三行不明)
  信仰たるものは迷いの心を捨て、一筋の道にこれを説き、、、神なり力大
  なり
  風を吹き・・・・氷山を解かすことも自在なり
  天より糸を垂れ水に浮かべる小さき浮きに立てる針に糸を通すことも自
  在なり
  我のみことのりを信ずる心こそ誠の心なり」
  ・・・ここで神示は終わった。
T・S先生の掌に出現した大黒様をいただこうと引っ張ると先生の手と一体となっていた。二体目の大黒像である。
昭和53年 政木氏のフーチパターンは丸い大きな円形となり仏像が空間より出現することとなる。
政木氏はT・S先生に、私のような無宗教の無心論者になぜこのような奇跡が続出するのかを伺ったところ、T・S先生は「あなたは発明を数百もしながら、それらの殆どを無償で社会に放出している。その無欲の修行を神が喜び、このような不思議なことを発生させています」と答えられた。
昭和53年4月23日 えびす像が発現する。
昭和53年8月 政木氏は、自分の政木フーチパターンによって昭和54年2月に死ぬことを知る。
昭和53年12月6日 午前9時、東京に向けて出発しようと準備していたときのこと、T・S先生が「神様が東京へ行くなと言っておられるよ」と告げられた。訪問予定先に電話でお断りを伝えた。その後、白衣観音像が出現した。T・S先生の口を借り神示が降りる。
「菩薩(われ)は白衣観音大菩薩である。政木家に授くるものである。〜政木に菩薩(われ)の影を見せたり」と申された。フーチパターンでを調べると、ご神体は千年以上前に天上界にて作られたものであり、台座は出現の日のものであることが分かった。
昭和54年1月1日 神の啓示があり、「われは、八幡大菩薩である。汝、政木和三の守護神となる。汝は永年にわたり、陰徳を積みたるがゆえに、汝の寿命を延ばし、汝に大いなる力を授く。汝につくまでは、神功皇后の子供の守護神であった。」と表現されました。この陰徳とは、政木氏は多くの発明をしながら、自分の利益にせに多くの人々に喜びを与えたことが、神の世界では「陰徳」というらしい。
昭和54年7月5日 十一面観世音菩薩像が発現する。
昭和55年3月13日 マリア観音像が発現する。
昭和56年5月10日 政木氏の家に日本のトップクラスの方々が来られるということになり、「庭の三つ葉のクローバーが四つ葉なれば、来られる方々も気持ちがよいだろう」と、しかし、四つ葉のクローバーが欲しいとは思いませんでした。5日後の15日に見に行くと、殆どの三つ葉が四つ葉のクローバーになっていた。
平成5年1月26日 テレビアンテナの調整のために上った屋上から降りる際、2階の天井から仮設ハシゴに乗り移ろうと天井板に乗った瞬間、バリッと音がして穴があき、板が破れて階下に飛び散るのが見えました。次の瞬間、政木氏の身体は宙に浮かび上がり、2階に舞い上がってしまった。その音を聞いた女性は「バリッと音がして天井が破れたので見上げると、穴から政木氏の身体が浮き上がっていく姿が見えたのでびっくりした」と話している!政木氏が下を見ると、穴の真下に金属パイプが立っており、そのまま落ちていればそのパイプに腹が突き刺さって死んでいた。





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